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サードバーティー支援を受けた方のインタビュー※この記事掲載は、サードバーティー支援を推奨しているものではありません。

無精子症と向き合い、夫婦二人三脚で立ち向かう
それぞれの葛藤と選択の先にあるもの
「男性不妊」という言葉すら知らなかった寺山さんに突如「無精子症」という診断がくだります。混乱と絶望を乗り越え、非配偶者間体外受精でお子さんを授かった今、ご自身の経験から男性不妊当事者夫婦を支援する活動に励んでいます。どのように現実に立ち向かい、先へ進んでいったのか。ご夫婦のこれまでの道のりをうかがいました。
そして今まで語られる機会の少なかった男性不妊の妻側の気持ちについても、奥様にお話いただいた貴重なインタビューとなりました。子どもを持つために、夫婦それぞれが向き合ったものとはー。

寺山竜生さんご夫妻プロフィール

寺山竜生さんご夫妻プロフィール

寺山さん37歳、妻29歳で結婚。寺山さんが38歳の時、無精子症との診断を受け、その事実を受け入れるまでに1年を要す。その後AIDを受ける決断をし、日本で2年間かけ20回のAIDを経験するものの妊娠には至らず。台湾で非配偶者間体外受精を受け、1回目で第一子を妊娠、出産。竜生さんは現在、一般社団法人AID当事者支援会(https://aid-toujisha.com/)の代表として、当事者支援の活動に従事。妻も竜生さんと共に、当事者として、特に女性の立場から支援活動に参加している。

1.受け入れ難い「無精子症」という事実

無精子症発覚

お二人のご結婚から寺山さんが無精子症とわかるまでのストーリーからお聞かせください。

【妻】結婚したのは私が29歳で夫が37歳の時でした。ふたりとも子どものいる家族をつくることは当然のことと考えていたので、新婚1年目はまずはふたりの時間を謳歌し、その後は自然に任せ早く授かるといいな、と思いながら過ごしていました。でもなかなか妊娠しなかったので、不妊治療クリニックを受診し、すぐに次の生理周期に合わせて人工授精をすることになったんです。人工授精当日は、私一人で夫の精子を持ってクリニックに行きました。
そして医師から聞かされたのは思いもよらない、「精子がゼロです」という言葉でした。

その時の奥様はどういうお気持ちでしたか。

【妻】検査結果を聞いた瞬間から頭が真っ白になりました。何も言葉も出てこず、その後のことは何を言われたかよく覚えていません。目の前のものが急に遠くなっていくような錯覚に襲われて、医師の話も入ってこなくて。ただ最後に医師から「まずはおふたりでよく相談して、男性不妊外来に行くなら紹介状を書きますよ」と言われたことはぼんやり記憶しています。
夫に何をどう伝えればいいのか、ただただ混乱し、帰宅する電車の中で涙が止まりませんでした。それでも彼にとって厳しい事実であることはわかったので、気持ちを落ち着けようと必死でした。でも彼の顔を見たら考える間もなく涙が溢れてしまい「精子がないんだって」というひと言を絞り出すのが精一杯でした。

【寺山】聞かされた僕は状況がまったく飲み込めませんでした。そもそも無精子という病気があることすら知りませんでしたから。今まで妊娠しなかった原因が自分にあるかもしれない、とは想像すらしたこともありませんでした。

その時の奥様はどういうお気持ちでしたか。

MD-TESE(精巣内精子採取術)までの葛藤とその後

おふたりともが混乱に陥った状態から、どのようにその事実と向き合っていかれたのでしょうか。

【妻】少し冷静さを取り戻してからは、夫の状態と原因につい専門機関で調べなければいけないと思い、専門病院に行くことにしました。

【寺山】ショックと信じたくない気持ちはありましたが、自分でも無精子症について調べ始め、そういう病気があることを知り、検査が必要だと思いました。そして改めて行なった検査でも精子がない、という診断が出て、自分は「無精子症」であることを理解したんです。
ただ、そうだとわかってからはすぐに次のことを考えました。無精子症の場合、睾丸を切って中から精子を取り出すMD-TESE(※以降「TESE」と表記)という手術があり、睾丸の中に精子があれば妊娠できる可能性がありますから。それを信じました。

おふたりともが混乱に陥った状態から、どのようにその事実と向き合っていかれたのでしょうか。
寺山さんはご自身でできることを調べて次のステップを考えられたということですが、奥様のお気持ちはいかがでしたか。

【妻】無精子症だということがはっきりしてからは、私も色々情報収集をする中でTESEを知り、その選択を考えました。ただTESEは本人の負担と不安が大きいことはわかっていたので、彼の気持ちがどう動くかを見守りました。結果的にすぐに夫はTESEをする決断をしましたね。
TESEをすると決めてから手術までは半年くらいあったんです。その間、精子があることを祈りつつも、同時に精子がなかった場合についても考えるようになりました。特に手術が近くなった頃には、私自身はAID(非配偶者間人工授精)のことや特別養子縁組についても調べ始めていました。別の選択肢の知識を増やしておきたかったからです。

【寺山】TESEの成功率は10%程度だということは知っていたので、ダメだった場合の選択肢というのは僕も考えていました。期待が大きすぎるとダメだった時のショックを受け止めきれないかもしれないので、手術が近づくにつれてこれがダメでも、他にも子どもを持つ方法はあるんだ、とどこかで思っていました。

そして手術の結果は、残念ながら睾丸からも精子を見つけられなかった、という厳しいものでしたね。寺山さん、奥様、どのように受け止めましたか。

【寺山】結果を聞いた直後はショックでふたりして泣きましたが、それでも状況が明確になったことで、不思議とその瞬間だけは何かから解放されたような感覚もありました。
ただ、その後は改めてその現実を受け入れることができず、絶望的な気持ちに苦しみました。本当に精子が無いのか、なにかの間違いではないのか、と信じられなかったんです。

【妻】TESEが終わるまでは期待も希望もあったので、先のことを掘り下げて話し合えるステージではなく、夫の精神状態を配慮しできるだけそっとしておこうと、こちらも気を遣うことが多くありました。
だから手術の結果、精子がゼロだと分かった時はショックと同時に少しすっきりした気分になったというのが正直なところかもしれません。やっとこれで次のステップに進める、と。
でも現実はそうすんなりとは進みませんでした。夫が言ったように、手術後の日々で、彼が絶望のどん底にいるのが見ていてわかりました。私もどう接すればよいか、何を言えばよいかわからず、ただ見守ることしができず、お互い重苦しい日々でした。

そして手術の結果は、残念ながら睾丸からも精子を見つけられなかった、という厳しいものでしたね。寺山さん、奥様、どのように受け止めましたか。

2.AID(非配偶者間人工授精)を決断するまで

夫婦それぞれが描いた選択肢

望みを託したTESEで精子がゼロであるという結果、それぞれが苦しい日々を過ごされたんですね。その頃は寺山さんは次の選択肢について考えることや奥様と話し合うこともできませんでしたか。

【寺山】できませんでした。先のことが考えられないんです。だから妻から「子どもを持つためにどうするか」という話を持ちかけられると苛立ち、喧嘩になることもしばしばでした。その結果、一時期は妻と離れたい、俺たちはもううまくいかないかもしれない、と思うことさえありました。同じ家の中にいてもお互い口をきかない日が続いたこともあります。妻に対して申し訳ない気持ちと、自分自身を受け入れられない葛藤と苛立ちとで、とても苦しかった。
そして少しづつ気持ちが落ち着いてからは、僕はまず子どものいない2人の生活を想像しました。もちろんその時点ではAIDについても知っていましたが、他人の精子で妻が人工授精をする、ということがどうしても受け入れがたかった。だからその次のステップとして、妻がどうしても子どもを望むなら、養子縁組が現実路線ではないかと思い、そのシンポジウムに参加したり、特別養子縁組の斡旋団体の話を聞きに行ったりしました。やはり僕自身も子どもを強く望んでいたんです。

奥様のお気持ちはいかがでしたか。

【妻】私は子どものいない人生は考えられなかったんです。だから夫に精子がないとわかっても、そういう夫婦が子どもを持つにはどうするか、という選択肢しか私にはありませんでした。自ら産んで育てたい、という強い願望があったので、私の中ではAIDという選択肢を前向きに考え始めていました。もちろん不安も他人の精子への抵抗感もなかったわけではありません。それに当然夫がそのことに前向きにならない限りその選択肢はなくなることはわかっていたので、特別養子縁組についても調べました。
でも養子縁組というのは子どものための制度です。だから当然親になる夫婦の年齢の制限があったり、共働きに対する条件が厳しかったりと、私たちには新生児は難しいかもしれない、ということを言われたことがありました。さらに特別養子縁組の場合はいつ赤ちゃんが来るかわからないので前もって準備したり計画を立てることが難しい、ということも知って、もしかしたらそれは私たち夫婦のライフスタイルには合っていないかもしれないと感じるようになったんです。
そうなってくると私自身はAIDへの希望が強くなり、AIDで授かったご夫婦のお話やAIDで産まれた方のお話も聞く機会を増やしていき、まずは知ることから始めよう、と行動を起こしていました。

奥様のお気持ちはいかがでしたか。

話し合い継続のヒント

それぞれが異なる選択肢を考えていた中で、AIDという決断に至るまでの間にどのように話し合いを深めていかれたのでしょうか。この問題と向き合っているご夫婦にとって、その話し合いの継続はひとつの課題かもしれません。

【妻】私たちの方法のひとつは、気持ちや考えを紙に書き出す、ということです。例えばこちらを選択した場合のメリットとデメリットは何か、ということを個々に書き出し、そのメモを見ながら話し合うんです。可視化することでお互い冷静に話し合うことができました。
素朴な疑問やひっかかることなど、様々なことをメモに残すようにしました。書き出す、メモに取る、という方法は、ひとつづつ双方納得しながら進むためのプロセスとしてはとても有効だったと思います。

それは良いヒントになりそうですね。書き出したものをもとに話し合うことができれば、客観的な視点で判断ができそうです。その話し合いは日常的に行われていたのでしょうか。

【寺山】僕が話し合いにのぞめる状態になってからは、毎日なんらかの関連する話はしていました。
もうひとつ、書き出すことに加えて、僕たち夫婦の隠語がありました。AIDを「A」、養子なら「Y」といった具合に。そうすると外出先などでふとこの件について話したくなった時、いつでも口にすることができます。聞きたいことや確認したいことを後回しにせず、常に話し合える空気感を作るようにしていたんです。

【妻】毎日話していても、昨日と今日で気持ちが変わることも少なくありませんでした。お互い、意見が変わることを否定しないようにしていました。

【寺山】気持ちの揺れがあることは当然だと受け止め、昨日と今日の気持ちの変化が起きた理由はなぜだろう、ということも話し合う。定まらない気持ちも口にすることで思考が整理されることも多く、そんなことを繰り返しながら結論にたどり着いた、というのが僕たちのAIDまでの道のりです。

AIDを選んだ理由―絶望からの抜け道

【妻】実は私の中では割と早い段階からAIDをしたい、という気持ちになっていました。それは、自ら産みたい、授乳も経験したい、という私の中の強い母性があったからです。
もちろん当初は不安や抵抗感はありましたが、色々考えているうちに私が最も望むことは、夫であるこの人と家族を作ることであり、彼に子どもの父親になってほしい、そして彼と共に子育てをしたい、ということだ、とはっきりとわかったんです。そうであるなら、他人の精子によって授かる子どもでも、彼が父親である家族に違いはないし、彼と共に子育てをしていく、という望みは叶うんだと考えるようになりました。

寺山さんは先ほどAIDは考えられなかったとおっしゃっていました。その後ご夫婦での話し合いを重ねる中で、どういった気持ちの変化が起き、何が決め手となりAIDを決断されたのでしょうか。

【寺山】まず決断するまでに1年以上かかっています。簡単なことではありませんでした。僕は自分の子孫、つまり“自分の遺伝子”を残すことは当然のことだと思っていたので、それが出来ない、という事態に長く混乱していました。AIDという選択肢を知った時も、“他人の遺伝子”ということが大きな足枷となり、AIDを選択することがなかなかできませんでした。
でも実際にAIDで授かった家族に会い直接話を聞いたことが、“他人の遺伝子“という自ら作り上げていた壁を徐々に壊していくことになったんです。僕は漠然と「普通の家族とはどこか違う」という先入観を持っていて、また他者からそう見られることへの不安も抱えていました。でも実際に会ってみたら、違いなんてありません。実子でもAIDで産まれた子どもでも、その家族の幸せの価値にはまったく影響なんてない。そういった実感が積み重なっていくうちに、血の繋がりへのこだわりが消えていったんです。そして、もしAIDで子どもを授かれたら、その子を我が子として愛し育てられると確信できた時、心から僕たちの子どもが欲しいと思うようになり、妻にAIDに挑戦しよう、とお願いしました。

寺山さんは先ほどAIDは考えられなかったとおっしゃっていました。その後ご夫婦での話し合いを重ねる中で、どういった気持ちの変化が起き、何が決め手となりAIDを決断されたのでしょうか。
寺山さんご自身がAIDを拒んでいた理由と向き合い、実際にそういったご家族にお会いしたことで、その不安と葛藤を克服されたんですね。

【寺山】そうです。どういう形でわが子と出会ったとしても、家族であることには変わりない。決断するために様々な想定で自分自身に問いかけました。もしも障害を持って産まれてきても愛せるか、妻が先に亡くなっても自分一人で育てていく自信はあるか、そういったひとつひとつの問いに対し考え抜いた結果、「大丈夫。なにがあってもわが子を愛し、守っていく。」と自分の中ではっきりとわかりました。

最終判断を夫に委ねた理由と妻の覚悟

一方で奥様は、寺山さんがAIDを決断するまで、待っていた、ということでしょうか。

【妻】はい、そうですね。私から「AIDをしよう」とは言わないようにしていました。私がそう言えばその道に進む可能性が高いからこそ、私のためではなく彼自身の答えを見つけてほしかった。それはその先子どもができて、一人の人間を育てていくための覚悟と責任を、ふたりで持つためにです。だから、最後の決断は夫が自発的にAIDに進むと決めるのを待ちました。その上で、私も同じ考えであることを伝えたんです。

旦那さんからAIDをする決意を伝えられた時、何を思いましたか。

【妻】少し怖さと緊張を感じました。というのは、もしAIDで子どもを授かったあとに「やっぱり子どもを愛せない」と彼が言い出す可能性への恐れを拭い切れていなかったからです。
私自身はなにがあっても子どもを育てていくし、彼がもしそう言い出したら、その時は一人で育てていく覚悟を決めていました。でもよく考えてみたらもしも私が先に死んでしまったら、子どもは誰が育てるんだろう、と。彼にそこまでの覚悟は持てるだろうか、と急に怖くなってしまったんです。
だから彼から意志を伝えられた時、まず聞きました。「もしも私に何かあってあなたが一人になっても、子どもをちゃんと育ててくれる?」と。すると意外にもあっさりと「あたりまえでしょ」と答えてくれたので、安堵して私たちはこの道を選んでも大丈夫だと思えました。

もしも夫が子どもを愛せない時には一人で育てる、という覚悟。とても孤独な覚悟ですね。

【妻】孤独ですが同じ治療をしている女性のほとんどは同じことを言いますね。自分ひとりでも子どもを育てていくんだ、という覚悟を持って女性はこの治療をしているのではないでしょうか。
ただ自分の身になにかあった時のことは、やはり治療に入る前に旦那さんの意思と覚悟を確認しないといけませんね。

もしも夫が子どもを愛せない時には一人で育てる、という覚悟。とても孤独な覚悟ですね。

3.気持ちの整理に必要な時間を受容する

男性が自分自身を受け入れるプロセスをおろそかにしない

ここから寺山さんにうかがいたいのですが、無精子であると診断された男性がその自分を受け入れて、AIDや養子縁組といった他の選択肢を考えられるようになるまでにはやはり時間がかかるものでしょうか。

【寺山】僕自身がそうだったように、最終的に受け入れて前に進めるようになるには、年単位で時間はかかると思います。その時間の中で夫婦間で話し合いを重ねながら、自分自身と向き合い続けるしかないんだと思います。
AIDに関して言うなら、時間がかかって当然だ、ということ。見切り発車だけはしてはいけないと思います。もし奥さんにAIDで子どもが欲しいと言われたら、責任を感じている男性はなかなか断れないこともあります。でも男性自身が無精子である自分を受け入れられていなければ、産まれてから「やっぱり俺の子どもじゃない」と思ってしまい、夫婦関係までもが破綻してしまうケースは少なくないんです。だから、まずは焦らず時間をかけて自分を受け入れることです。このプロセスをおろそかにすると、取り返しがつかないし、犠牲になるのは産まれてくる子どもです。

「自分を受け入れる」というのはどういう状態になった時といえますか。

【寺山】生殖能力がない自分を許し、自分の価値はそれによって変わらないんだ、と自信を取り戻せている状態だと思います。そして産まれてくる子どもと血がつながっていないことが全く気にならないと思える時じゃないかと思うんです。血のつながりがなくても親子であることにはなんの影響もない、と自信を持てる心理状態。だからこそ、その状態になってからAIDに進んでほしいと思います。

「自分を受け入れる」というのはどういう状態になった時といえますか。

AID決断のために必要なこと

そうなるために、そしてそこからAIDへ進むための具体的な道筋のようなものはあるのでしょうか。

【寺山】はい。僕はまさにそのお手伝いをする活動をしていますが、いくつかクリアすべき自分自身への問いがあると思っています。それらにしっかりと向き合い自らの答えを見つけていくことで今の自分の心理状態を確認でき、徐々にAIDへの準備が整っていくはずです。
そしてAIDという道に進むためには、例えるなら自動車教習所に通い運転免許を取るように、知らなければいけない知識や心構えがある、ということです。交通ルールを何も知らずに車の運転をしたらおそらく事故を起こしてしまいます。危険な場所で急発信したり、一方通行を逆走したり。結果人生を狂わせるような大事故につながることもある。AIDに関しても同じようなことがいえるんです。その事故は回避しなければいけません。

寺山さんご自身の経験で得たものを同じ当事者の方々に共有しながらサポートされているんですね。そのいわゆる自動車教習所では、夫だけではなく妻も一緒に教習を受けた方がよさそうですね。

【寺山】そうですね。夫がまだ準備ができていない、ということを妻も理解し、二人で足並みを揃えることが大切だと思います。そしてそのプロセスと時間は夫婦の関係性にも良い影響をもたらすのではないでしょうか。僕たち夫婦もお互いを戦友のように感じています。もちろん順調に子どもができていればそれはそれで素敵なことだけど、そういう夫婦とはまた違う、もうひとつ別の軸の繋がりがあります。この経験がなければ、家族や子どもの人生についてこんなに深く考えることは決してなかっただろうから、学ぶ機会を与えられたんだと、これが自分の定めだと、今は思っているんです。

4.終わらないAID治療

AID治療中のそれぞれの思い

では、いよいよAID治療がスタートしたわけですが、寺山さんご夫妻はAIDを2年間で20回されたとのこと。回数だけ聞くととても多く感じますが。

【妻】一般の不妊治療として考えると人工授精20回というのは非常に多いと思われるでしょう。ただ私たちAID治療の場合は、それを続ける以外の方法がないので回数が増えてしまうんです。通常の不妊治療であればおそらく人工授精を4~5回しても妊娠に至らなければ体外受精にステップアップしますよね。でも当時はまだ日本国内での提供精子による体外受精(非配偶者間体外受精)ができる病院はありませんでした。(※現在は国内でも同治療を受けられる病院やその準備を調整中の病院がでてきている)

確かにそうであれば人工授精を続けるしかないわけですね。通常の不妊治療同様、毎月の生理サイクルに合わせて治療をされたと思いますが、お仕事と両立されていたんですか。

【妻】はい。でも毎月のことになっていくと次第にルーティンのようになっていき、スケジュールも立てやすくなっていました。複雑な気持ちではありましたが、自分の生理周期に合わせて半日ないしは1日病院の予定を入れておけば仕事との両立が可能でした。
とはいえ、毎月生理がくると当然、大きな落胆と悲しみにおそわれます。でもそれを夫には言えませんでした。何度か伝えようとしましたが「責められてるようで俺もつらい」と言われてしまって。それはわかりましたが、私ひとりで背負わなければいけないのか、とだんだん抱えきれなくなっていきました。
幸い、私は限界を感じ始めた時に思い切って彼に気持ちを吐き出すことができたので良かったと思います。「これは私ひとりの治療ではない。悲しみや苦労を一緒に受け止めてほしい。ちゃんと分かち合いたい」と。そうすると彼も協力的になっていき、旅行の計画を立てるなどして気持ちの切り替えを一緒にしてくれるようになりました。

確かにそうであれば人工授精を続けるしかないわけですね。通常の不妊治療同様、毎月の生理サイクルに合わせて治療をされたと思いますが、お仕事と両立されていたんですか。
男性不妊の場合、夫にどこまで気持ちを伝えて良いか、というのは神経を使うところかと思います。悲しみや落胆の思いを率直に伝えすぎるとかえって相手を追い詰め傷つけてしまうおそれもある。だからといって一人だけで向き合うことではない。さまざまな思いが絡み合いますよね。

【妻】そうです。同じ当事者女性がよく言うのは、リセット(妊娠せずに生理がくること)した時に、そのつらい気持ちを夫となかなか共有できない、ということです。泣いている姿も見せないようにしている女性は多いはずです。そこが男性不妊の女性が感じる孤立感だと思います。

【寺山】男性は自分のせいで不妊治療していることをわかっているので、リセットの悲しみを訴えられるとやはりつらいです。妻が悲しんでいる原因は自分である、という事実を改めて突きつけられるような気がしてしまう。僕も、自分は何もできないという無力さと無念さに、やり場のない苛立ちを覚えることも多かったです。

それぞれの立場で苦しんでいたんですね。

【妻】そうですね。私は何かしてほしかったわけではないんです。解決を望んだわけではない。ただ共感してほしかった。その思いがなかなか噛み合わずに二人の間が険悪にあることもしばしばありました。

治療の行き詰まりとその課題

AIDをされていた2年の間、ご夫婦の関係性も変化の段階を経たわけですね。治療期間が長くなっていく中、治療の継続に対する不安はありましたか。

【妻】ありました。AIDも10回過ぎてくると、妊娠できないのは自分にも原因があるからではないか、と改めて自分の体の検査をしてみては、なぜ妊娠にいたらないのかとても悩みました。このままAIDを続けるべきか、海外で別の方法を考えるべきか。あるいは改めて養子縁組を検討するか、など他の選択肢を真剣に考えるようになっていました。
一番ストレスを感じたことは、現代の医療技術であれば、体外受精や顕微授精という妊娠率が高い方法があるにも関わらず、国内では提供精子ではそれが叶わないことでした。目の前に可能性が高い方法があるのに、それをさせてもらえない。だからうまくいかないAIDを続けざるを得ない。見通しの立たない道の真ん中で、いつまでこれが続くんだろう、と思い悩みながらもやめられない、そんな葛藤の日々でした。

【寺山】治療を終わりにする決め手がないからこそ、妊娠を願って続けてしまう。でも現実的には10回目のAIDが上手くいかなかった時に、このまま同じことを続けるよりは台湾での体外受精について本格的に考えようと夫婦で話し合いを始めました。

5.台湾での非配偶者間体外受精へ

悔いを残さないために

可能性の高い方法を検討したくなるのは当然かもしれません。台湾での非配偶者間体外受精の検討を始めたとき、これがもしうまくいかなければ2人の人生になる可能性がある、ということは考えましたか。

【妻】はい、考えました。AIDの回数が増えるにつれて、子どものいない人生ついて考え直していました。でも二人の人生になるにしても、後悔のないようにしたいと強く思ったんです。
最先端医療技術の顕微授精を試してもうまくいかなければ、自分の中でも納得して子どものいない人生を受け入れられると思いました。だからある意味、台湾での非配偶者間顕微授精に進む時には覚悟を持って臨みました。これがうまくいかなければ子どもはあきらめて二人の人生を生きるんだ、と。その時は自然にそう思えました。

そうですか。台湾での非配偶者間顕微授精を決めた時には、奥様の中では覚悟と同時に気持ちの整理がついていたんですね。そして一度目の顕微授精で妊娠されました。どんなお気持ちでしたか。

【妻】それは言葉にならないほど嬉しかったです。二人で緊張しながら妊娠検査薬を見ましたが、初めて陽性のマークを見た時には文字通り飛び上がりましたね。
【寺山】僕は嬉しくてたまらない喜びがこみあげる一方で、少し冷静な気持ちもありました。「これはもう夢じゃない。この授かった命に対して責任を持っていかなければいけないんだ」と。それまで幾度となく自分自身に問いかけていた「覚悟」が現実のものとなった瞬間でもありました。

そうですか。台湾での非配偶者間顕微授精を決めた時には、奥様の中では覚悟と同時に気持ちの整理がついていたんですね。そして一度目の顕微授精で妊娠されました。どんなお気持ちでしたか。

子どもに出自を伝える

あふれる喜びの一方で身が引き締まる思いになられたんですね。妊娠期間中も様々な話し合いをされたことと思いますが、出自についてお子さん本人に、さらには周囲に対して、どう伝えていくかについては話し合われましたか。

【寺山】はい。子ども本人に出自を伝えることを「真実告知」といいますが、僕たちはAID治療に進む前から、AIDで産まれた方たちのお話を聞いたり、様々な情報を得ていたので、産まれてくる子どものために真実告知の計画を練り準備することは当然のことだと考えていました。0歳の時からその月齢、年齢に応じた伝え方をしていこうとを決めていたんです。

【妻】お腹に向かって話しかけながら、伝える練習もしましたね。ただ、そうはいってもお腹が大きくなってくると、不安も生まれてきたんです。まったく子どもの顔が想像できなかったので、もしも周囲から「全然似てないね」と言われたらなんと返せるだろうか、といったことを想像して心配になりました。子ども本人に対しては心の準備を整えていきましたが、周囲に対してどう対応できるか、私自身がまだ自信がなかったんだろうと思います。

【寺山】つまり、娘本人には必ず真実告知をしなければいけない一方で、周囲に対しては娘、私たち家族のプライバシーを守りながら対応を考えなければならない。
だから誰になにを話すか、ということは娘が産まれる前から夫婦で話し合いました。僕たちの親族、学校、地域、医療関係者など、娘と関係を持つ相手に対して、いつ、どこまで話すか、というのは娘の成長、理解と共に娘の意見や意思を尊重して一緒に考え、伝えていこうと思っています。

お二人それぞれの親族にはまだ話していらっしゃらない、ということでしょうか。

【寺山】ええ、お互いの両親にしか話していません。その理由は、親族のように娘の人生において長く関わるであろう人たちには、彼女が伝えたいと思う相手に、彼女が話したいと思う時に話せば良い、と考えているからです。これは彼女のプライバシーであり、彼女の人権への尊重です。
だから私たち夫婦は、娘本人が知らないうちに他の人が知っている、ということはないようにしようと決めています。

そこまで思いがいたるというのは、やはり多くの当事者の方々からお話を聞いて得られたものがあるからなんでしょうね。実際にお二人は娘さんが0歳の頃から真実告知をされてきたとのことですが、現在4歳の娘さんはその事実をどんなふうに理解していらっしゃいますか。

【寺山】自分は父親と血のつながりはない、ということを感覚的に感じているようです。例えば先日の会話ですが、僕はアレルギーがあり苺を食べられないんです。でも娘は苺が大好きで、「私パパの卵じゃなくてよかった。苺食べられるから嬉しい」とニコニコしながら食べていました。僕と血のつながりがないことの明るい側面を娘は見ているのかもしれません。
そして僕自身、娘と親子になってから血のつながりを気にすることは一切ありません。産まれるまでは「自分たちにまったく似ていなかったらどうしよう」という不安を感じたこともありました。でも今願うことは、とにかく健康に生きていてほしい、それだけです。この子を守るためなら自分の命はいらない、と心からそう思います。

6.同じ当事者を支えたい

幸せへの近道を共に探す

実際に産まれてきて、家族になってわかることも多くあるのでしょうね。寺山さんは現在男性不妊で悩む当事者を支える活動をされていらっしゃるとのことですが、それは、先ほど自動車教習所の例えを使ってご説明くださったように、ご自身の経験から得た情報や心構えをなんとか当事者に伝えたい、そんな思いからなのでしょうか。

【寺山】そうです。僕自身が自ら壁にぶつかりながら得たものを、必要な人に伝えたいと思ったんです。男性不妊と診断されてから、僕がどう自分を受け入れていったのか、何を考えれば自分を受け入れやすくなるのか。
と同時に、自分の受容ができていない状態でAIDに進んでしまうことの危険性もお伝えしたい。どんな覚悟が必要でその覚悟はどうしたら持てるのか。さらには夫婦の話し合いの進め方なども含め、最終的にご本人の気持ちが納得いくようにサポートできればと思います。プロセスを丁寧にふめば、子どもができてから「こんなはずじゃなかった」「やっぱりうまくいかない」と思い悩むことを防げるはずです。
長く時間をかければいいということではありませんが、時間が解決することも多いのは事実です。いかに自分を受け入れることが重要か。そのためにも僕の経験で手助けできることがあると信じています。幸せへの近道を一緒に探していきたいです。

実際に産まれてきて、家族になってわかることも多くあるのでしょうね。寺山さんは現在男性不妊で悩む当事者を支える活動をされていらっしゃるとのことですが、それは、先ほど自動車教習所の例えを使ってご説明くださったように、ご自身の経験から得た情報や心構えをなんとか当事者に伝えたい、そんな思いからなのでしょうか。
この活動を通してどういった手ごたえを感じていらっしゃいますか。

【寺山】講演などで男性不妊の現状や僕自身の経験についてお話しする機会がありますが、当事者本人のリアルな声を聞く機会が少ないこともあり、感謝の声を多くいただきます。
先日もとても嬉しかったことがありました。約2年ほど前にある男性から、自身が無精子であることをどうしても受け入れられず、子どもはあきらめるしかないと思う、というご相談があり何度かお話をしました。その後その方がどうされたかは存じ上げませんでしたが、先日主催したAIDの親の会に、なんとその方が小さなお子さんを連れて参加されたんです。そして「あの時寺山さんとお話ししたことで、私自身が男性不妊という事実を受け入れられるようになり、その後夫婦で話し合い、私も子どもを持ちたい、という結論に至りこの子がやってきてくれました。」とおっしゃったんです。その時は、自分の活動がその方の考え方を変えるきっかけとなり、人生に影響を与えたことに胸がいっぱいになりましたね。

救いは自分の中ではなく、外にある

それは感慨深いです。では最後になりますが、子どもを望みながらも男性不妊が原因で立ち止まっているご夫婦に向けて、当事者として男性の立場から、そして女性の立場から、それぞれひと言いただけませんでしょうか。

【寺山】ひとりで、あるいは夫婦ふたりだけで抱え込まないでほしい、と思います。同じ経験をしている人、してきた人はたくさんいます。そして支えてくれる場所や人たちがいるということを知ってほしい。そこに辿り着ければ、見える景色が変わってきます。
特に男性は自分の気持ちをなかなか外に出せません。男性不妊である自分を受け入れられずに、自分の殻に閉じこもってそのことには一切ふれたくなくなってしまう、ということもあるでしょう。でも、外に助けを求めてほしい、と心から思います。その気持ちがわかってもらえる場所や人は外にいます。自分の中ではなく、意識を外に向けてください。

【妻】つくづく不妊治療というのは、夫婦ふたりでひとつの命を授かることだと感じます。だからどちらか一方が責任を感じることではないんだ、と思うのです。時に相手から責められているように感じることや、自身の罪悪感に苛まれることもあるかもしれません。でも誰も責めたいわけではないし、罪悪感など感じてほしくはないはずです。
お互いの話にしっかりと耳を傾け、夫婦のコミュニケーションを丁寧にとることが何より大切ではないかと感じます。
そして女性もひとりで抱えないでほしい、と強く思います。男性不妊の場合、誰にも相談できずに抱えこんでしまう妻は多いんです。旦那さんにも気をつかうことが多いからこそ、友人でもカウンセラーさんでも、誰か一人でいいから気持ちを吐き出せる相手を見つけてほしいです。話せるだけで救われることも心が楽になることも多い。私もそうでしたが、どれだけ救われたかしれません。
夫の活動の中で、多くの男性不妊のご夫婦にもお会いしてきましたが、「今までこのことを誰にも話したことはありませんでした」という女性はたくさんいらして、話したことでとても気持ちが楽になりました、と皆さんおっしゃいます。

実際に産まれてきて、家族になってわかることも多くあるのでしょうね。寺山さんは現在男性不妊で悩む当事者を支える活動をされていらっしゃるとのことですが、それは、先ほど自動車教習所の例えを使ってご説明くださったように、ご自身の経験から得た情報や心構えをなんとか当事者に伝えたい、そんな思いからなのでしょうか。
ひとりで抱えずに話す勇気を持つことが、前進への一歩かもしれませんね。人に話すことで視界が開けることもあるでしょうね。

【寺山】そうです。内向きにいるだけだとわからなくなることもあるかもしれません。僕は今、無精子症になったことは僕に必要だから起きたんだと、捉えられています。この経験がなければ、家族について、命について、夫婦関係について、こんなふうに考えることもなく過ごしていたでしょう。でも今こうして、今の自分になれたこと、この家族になれたこと、これは僕の無精子症という出来事から得られたかけがえのない僕の人生です。無精子症という事実は変えられないけれど、それとどう向き合っていくか。僕はこれで良かったと言える生き方をしていきたいと思っています。

聞き手 タカセ ニナ(ライター)
永森咲希(一般社団法人MoLive代表)
構成・執筆 タカセ ニナ
写真 岩永雄司
取材日 2023年6月17日

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